Dec 25, 2010
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「わたしが関わったことについて、ほかの人が書いたものを読むと、『えっ、わたしにはそういう風には見えなかったが』と思うことがある」――。先週金曜日(2月4日)にドナルド・ラムズフェルド元国防長官をインタビューした際に彼が苦笑しながら語った言葉だ。
「ジョージ・シュルツ(元国務長官)にはこう言われたよ。『そんなもんだ。みなそれぞれの歴史の1ページがある。君もいつか本を書いて歴史に残すべきだ』」
そういう訳で、新たにラムズフェルド氏の証言が歴史に加わることになった。8日に発売された彼の回顧録には、ジョージ・W・ブッシュ、ジェラルド・フォード両大統領の下で国防長官を務めた日々をはじめ、リチャード・ニクソン大統領の政権メンバーだったころや、イリノイ州選出の下院議員時代が描かれ、現在78歳のラムズフェルド氏が見てきた歴史が開陳されている。
米政界で何十年もの間、論争の火付け役だった彼らしく、内容は率直で、大きな反響を呼ぶと思われる。
ブッシュ前大統領周辺も含む、ラムズフェルド氏を批判する向きは、この本は「意趣返し」のために書かれたのだと言うだろうが、それはもともと予想されたことで、面白くもない。核心にあるのは、イラク政策をめぐる議論の中で、これまで欠けていたブッシュ政権に対する注目すべき評価だ。従来広く伝わっているのは、「カウボーイ」気取りの大統領がネオコン一派とともに、彼らよりも冷静で官僚的かつ戦略的な意見などまったく意に介さず、十分な準備もせずに戦争に突入したという見方だ。
ラムズフェルド氏の著述は、それに比べるとはるかに説得力がある。ミスの責任を個々の人物に負わせているからだ。彼によると、ホワイトハウスは内部で問題を抱えており、その中心にはコンドリーサ・ライス大統領補佐官(ブッシュ2期目の国務長官)率いる国家安全保障会議(NSC)があった。
ラムズフェルド氏によると、ライス氏の運営スタイルでは物事が決まらず、その結果、イラク占領後の計画に一貫性が欠け、イラク政府への権力移譲もなかなか進まず、治安を悪化させた。少なくともこの指摘は、現代史の研究者がブッシュ時代をきちんと評価する上で貴重な資料だ。
815ページにわたる新著についてラムズフェルド氏は「一つの歴史資料」であり、中身のない政界暴露本のたぐいではない、と言う。40年以上公的な職務に就いてきた同氏は、自身の投票歴、歴代大統領との会見内容、彼が国防長官だった時に国防総省(ペンタゴン)に”降り注いだ”2万を超えるメモ―「雪(snowflakes)」と呼ばれていた―を保管している。それらを一次資料として、この本は書かれている。
さらに、この本が過去の論争への見方を変えることに同氏は強く期待している。随分昔のことも含めて。
例えば、フォード大統領の首席補佐官時代に、ライバルのブッシュ氏(後の父ブッシュ元大統領)を追い出すために、中央情報局(CIA)のトップにすることを大統領に進言したというもの。しかし、フォード大統領の要請に応えて出したラムズフェルド氏の当時のメモによると、同氏は、CIAトップ候補の中でブッシュ氏のことを「平均以下」と評価していた。かなり辛らつだ。
新著の中でラムズフェルド氏は、国家安全保障会議の役割についての考えを述べた上で、ライス大統領補佐官(当時)が国務省と国防総省との間にあった意見の相違をうまくコントロールできなかったことを批判している。両省のライバル関係は以前からあったが、ライス氏の運営スタイルは、「両組織の意見対立の”橋渡し役”に徹しており、大統領に決裁を仰がなかった」と指摘している。
今回のインタビューでもラムズフェルド氏は、ライス氏を「人間的にできた人物」と評価しながらも、「彼女は学界の人で、学問の世界ではいろいろなことを混ぜ合わせたり延期することは悪いことではない・・・しかし、機能不全とは言わないものの、うまく機能していなかった側面には、相次ぐ先延ばしや、どのような選択肢があるのかはっきりとした形で大統領に提示しなかったということがある」と語った。
回顧録には、そのことがどんな結果を招いたのか注目すべき事例を挙げているが、戦後のイラクについて混乱した計画ほど重大な影響を及ぼしたものはない。
同氏によると、米国防総省は、アフガニスタンでロヤ・ジルガ(国民会議)がハミド・カルザイ氏を大統領として短期間で選出したように、イラクでも同じように「イラク人が国家元首になるため早期に動くこと」を目指していたという。国家安全保障会議でもブッシュ大統領の同意が得られたとラムズフェルド氏は当初考えていた。しかし、コリン・パウエル氏率いる国務省はそれに強く反対し、亡命者を指導者にするのは、「正統性」を損なうと主張していたという。また米国とイラクの間に結ばれた共同統治に関する合意がうまくいくか疑念を持っていた。
ラムズフェルド氏はこれを相当な政策の食い違いとみていたが、同氏によると、ライス氏は対応を急がなかった。
結果として、ポール・ブレマー氏が連合国暫定当局の代表として、長期間にわたる占領統治を行うことになった。ラムズフェルド氏はこれが反体制テロを促したとみている。サダム・フセイン元イラク大統領の宮殿に本拠を置いたブレマー氏はイラク暫定政府の設立を延期しつづけ、イラク人による「統治評議会」を作ったものの、権限は与えなかった。選挙の実施や新しい統治機関の設置は先送りされた。
ラムズフェルド氏は、いまのワシントンのカルチャーにも批判の目を向ける。議会はひどく攻撃的で、「訴訟社会」になっているという。彼がワシントンに来て間もないころ、ヘンリー・キッシンジャー氏が賛成と反対(pros and cons)の両意見をはっきりと示したメモを大統領のために書くのを見た。しかし、現在の国家安全保障会議は、のちの調査で問題になることを恐れて文書化を避けようとしているという。
はっきりとした方針決定がないために責任があやふやになり、パウエル氏と国務省はそのような状況を縄張り争いに利用した、とラムズフェルド氏は指摘する。ライス氏もそうだ。2003年の秋に設置された「イラク安定化グループ」(訳注:ホワイトハウス主導のイラク政策を進めるために作られた各省の権限を集めた機関)を通じて戦後イラク政策への影響力を高めようとしたが、ライス氏も彼女のスタッフも能力に欠けていたと、ラムズフェルド氏は著書に書いている。
一方で、ブッシュ前大統領に関しては、幾分かばう姿勢が見られる。大統領は選択肢を示されれば、決断する気持ちは十分あったという。しかし、国防総省と国務省の間のひどい対立に気づいていたことははっきりと書かれており、ブッシュ大統領の戦争の指導者としての、またライス氏の上司としての責任は免れない。
ラムズフェルド氏が率いた国防総省の失敗については、多少触れるものの、それほど率直ではない。疑問なのは、イラクで反体制テロが激しくなるなかで、ケーシー多国籍軍司令官とアビザイド中央軍司令官をなぜ早く交代させなかったかということだ。新著の中では、2006年秋まで、国家安全保障会議と統合参謀本部のだれも交代を進言しなかった。イラクに長く居すぎたせいで彼らは状況を分かっていなかったのではないか。インタビューでそれをラムズフェルド氏にたずねると、「いまから考えれば、そうと言えるかもしれない」との答えが返ってきた。
ラムズフェルド氏の新著は、アフガニスタン、イラク両戦争に対する責任を認めて謝罪する、といった一般受けするような内容ではない。しかし、歴史研究者を含めた読者の中には、ディーン・アチソン国務長官やヘンリー・キッシンジャー国務長官の系譜につながる本格的な回顧録だと評価する人もいるだろう。
(キンバリー・ストラッセル編集委員)
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