Jan 22, 2011

手形割引はお断りしています。

手形の割引をしないようにしている。手形割引をしてしまうと、金利がとられてしまうからだ。割引期間も短く、金額も小さい場合が多いので、銀行にお願いされるとしていたが、先日、決算での支払利息割引料の記述を見て驚いた。チリも積もって山になったからだ。そのことは、手形割引は断っている。
資産運用を多様しているがFXだけは手をつけなかった。なぜなら、自分にリスクが高いことと構造がいまいちすぐ​​に来ないからだ。つまり、よく分からないものに手を望んでいないのだ。そこで外貨預金はしているFXは手をつけないのだ。ちなみに外貨預金はかなりの含み損を抱えている。
 平成7年1月17日に起きた阪神大震災では、被災地に全国から人々が支援に駆けつけた。その数は1年間で延べ137万7千人(兵庫県調べ)。若者を中心にボランティア意識が高まり、この年は「ボランティア元年」と呼ばれるようになった。全国社会福祉協議会によると、東日本大震災でも7月末時点で延べ62万人を超えるボランティアが岩手、宮城、福島の3県を訪れている。

 岩手県陸前高田市では死者・行方不明者が約2千人、人口の9%を超えた。壊れた建物や車、ねじ曲がった電柱などの撤去が進まぬ地域も多い。大勢のボランティアが猛暑の中で瓦礫(がれき)を集め、側溝の泥をかき出すなどの作業をしている。

                   ◇

 市内企業でのインターンシップ(就業体験)として活動する若者も多い。愛媛大3年の山内香苗さん(20)の参加先は、食品卸業の橋勝商店だった。

 橋勝商店は4月中旬に自宅を仮店舗にして営業を再開、5月からは同業者らとともに週末の朝市を始めるなど、懸命に復興の道を歩んでいるところだ。

 山内さんには「何か被災者の役に立ちたい」との思いがあった。ところが、社員とともに顧客を訪ねると、「遠いところからよく来たね」と声をかけられ、ジュースやアイスまでごちそうになる。営業活動中は震災の話題にほとんどふれることができず、山内さんは戸惑い、苦しみを分かち合えぬ自分に無力感さえ覚えたという。その一方で、「前を向こうとする意志の強さ」に逆に励まされた、と話してくれた。

 やはり愛媛大の4年生、友野大地さん(22)は文化4(1807)年創業の老舗で醤油(しょうゆ)製造業の八木沢商店で活動した。

 社長の河野通洋さん(38)は事務所も、代々受け継がれた醸造用のスギ樽も、商店街の活性化策などを語り合った仲間も失って心が折れそうになったという。それでもなんとか仮事務所開設、同業者の協力による「八木沢ブランド」の味噌(みそ)や醤油の販売再開までこぎつけた。

 その河野さんは、友野さんら3人の学生に「1年以内に市内で起業してほしい」と呼びかけた。これを聞いて友野さんが考えたのは地元の中高生らがデザインし、地元企業が製造するTシャツの販売だ。それを津波から生き残った「奇跡の一本松」の砂浜で展示する−。「単発のイベントでなく、他のメンバーのアイデアと組み合わせ、継続性を持たせたい」と友野さん。インターンシップが終わり、陸前高田を離れても、出資者が決まるなど実現性が高まれば、戻ってくるつもりだ。

                   ◇

 実をいえば、橋勝商店も八木沢商店も学生を受け入れる余裕はない。だが、そんな台所事情を超えるものがあった。

 橋勝商店の橋詰真司社長(36)は七夕の日、短冊に「なつかしい未来の実現」と願いを記した。河野さんは「復興が遅れれば、街から若者がいなくなる」との懸念から「若い人の発想をこの街に集約したい」と若者に起業を促した。

 震災は人口減少が進んでいた陸前高田にとどめを刺しかねない、自分たちが生まれ育った街をこのまま消してはならない、という思いだ。

 同様の思いは、東京都内でサラリーマン生活を送っていた同市出身の岡本翔馬さん(28)の人生も変えた。家族の安否を確認するため、震災3日後に現地入りした彼の眼前に広がったのは、「真っ黒な瓦礫の海」(岡本さん)に変貌した故郷の姿だった。

 両親と祖母の無事がわかり、東京に戻ったが、「ここで何をやってるんだ」と自問する日が続く。結局、5月末に会社を辞め、現在は被災地と支援者をつなぐボランティアに奔走している。将来は陸前高田でビジネスを始めるつもりだ。

                   ◇

 阪神大震災をきっかけに発足した「日本災害救助ボランティアネットワーク」(兵庫県西宮市)の寺本弘伸常務理事は「東北では故郷を意識して活動している人が多い」という。

 被災地には高齢化と過疎化に悩む市町村が多い。街が復興できなければ、故郷喪失は現実となる。早くなんとかしないと…。そんな強烈な危機感、懸命な思いがボランティアに伝わらないはずがない。それが山内さんを励まし、友野さんに陸前高田に愛着を持たせる力になったのではないか。

 阪神大震災のボランティアを「1・17世代」と呼ぶように、東北で被災地支援をした人々を「3・11世代」と呼ぶ日がくるだろう。故郷を強く意識させられた彼らがめざす日本は、橋詰さんが短冊に書いた「なつかしい未来」ではないか。そんなことを考えながら、陸前高田を離れた。(鈴木正行)
Posted at 15:36 in Data | WriteBacks (0) | Edit
WriteBacks
TrackBack ping me at
Post a comment

writeback message: Ready to post a comment.