May 29, 2009
ゲストハウス結婚式を挙げるに選ぼう
結婚式を最高にしたいと思えば、結婚式場をゲストハウスといいだろう。ゲストハウスでは基本的に、貸切で開催された、他の花嫁と偶然にもない。まるでホームパーティーを開いたような豪華な結婚式を挙げることができる。まるで海外の著名人の結婚式を挙げることがゲストハウスは、あなたの夢を叶える結婚式場だ。結婚9年目の子供が二人いる主婦です。私は、独身時代はホンファルラヌンというわけではありません。最近、非常によく聴いています。もし私が独身だったら、おそらくホンファルハヌンです。お見合いやお見合いパーティーや合コンや結婚相談所やお友達の結婚式や結婚式の二次会や様々な出会いの機会の場に行きたいです。
◇水没伝承解明の物証にも
米原市朝妻筑摩沖の湖底遺跡「尚江千軒(なおえせんげん)遺跡」を調査している県立大人間文化学部の林博通教授(考古学)の研究室は20日、人工的に穴が開けられたものを含む石材群が見つかったと発表した。1819(文政2)年6月の大地震で陸地から流れ出た可能性が高いといい、「湖底には大地震の被害が人知れず眠っており、今後の地震対策にも役立つ」としている。【松井圀夫】
今年5〜9月、沖合の南北約1・7キロ、東西約500メートル(水深3〜8メートル)の範囲を調査。約250メートル沖合の水深4メートル地点で、縦18メートル、横9メートルの範囲に散在する石材群を発見した。割るためにノミなどで開けた矢穴(やあな)がある6個を含む36個で、縦97センチ、横34センチや縦55センチ、横40センチなど大きさはさまざま。琵琶湖岸や集落の水路の護岸に使われたとみられるが、集落と直結するものは見つからなかった。
合同で調査している京大防災研究所が行った人工地震による表面波探査や、大阪市立大大学院理学研究科が船から実施した湖中の音波探査の結果、陸地から琵琶湖に向かって地滑りを起こした痕跡が認められ、湖底地盤でも複数の地滑り面があることが判明している。これらから、「大地震に伴い、湖岸の陸地にあった石材群が地滑りで調査地点まで移動した」と判断した。
矢穴の形状などから、石材群は18世紀ごろ以降のものとみられる。同時期のこの地域では、1819年6月12日、マグニチュード7とも7・25ともいわれる大地震が発生。この時、彦根城の石垣が崩壊したり、湖東や湖西、膳所でも大きな被害が出た記録はあるが、朝妻筑摩付近での被害は明らかではないという。
朝妻筑摩沖には、1325(正中2)年の大地震で大集落が水没したという伝承があり、林教授の研究室が97年から継続調査している。林教授は「今回の発見は、伝承の実態解明に新たな物証を提供した。地震による水没は十分考えられ、複数回の地滑りがあった可能性もある」と話している。
12月21日朝刊
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◇情熱が支える発掘現場
国特別史跡・多賀城跡(多賀城市市川)の調査開始から今年は50年の節目を迎えた。多彩なイベントが行われたほか、新たな外郭門跡とみられる重要な発掘成果もあった。古代史の勉強と取材を続けながら、多賀城の歴史の奥深さを知り、周辺地域の史跡にも興味が湧いた。陸奥国府・多賀城を核に古代の都市、城柵、役所跡、窯跡など「多賀城ワールド」とも呼ぶべき関連史跡群が県内一円に広がっている。今後の取材テーマに加えたいと思い、最古とみられる「宮城郡」の文字を記した土器などが出土した利府町を改めて訪ねた。
◇ ◇
発掘を担当した同町教育委員会生涯学習課主査の高橋義行さん(34)は今、文化庁などに提出する発掘成果報告書の作成に追われている。「破片をこまめにつなぎ合わせて『宮城郡』の文字を確認した時は、思わずやったあと叫びました」と今夏の発見時を笑顔で振り返った。
多賀城の後背地に当たる同町では近年、三陸自動車道の整備や団地造成に伴い発掘調査が精力的に行われ、硯沢(すずりさわ)、大沢、大貝など「春日窯跡群」の全容が解明されつつある。「宮城郡」の文字は今年7月、多賀城の北東約5キロの丘陵にある硯沢窯跡から出土した3点の土器(須恵器)の接合作業の結果、確認された。「多賀城を母体とする地方行政組織」といわれる「宮城郡」の成り立ちや多賀城との結び付きを示す貴重な資料だ。
まず年代。この須恵器は形や技法から、多賀城の創建(724年)時期に近いものと判明したため、宮城郡も同時期に成立していたと推定できる。「続日本紀」に宮城郡が初めて登場する766年より古い。そして遺跡の位置づけ。文字は坏(つき)(茶わん)の底やふたにヘラで書かれていたが、粘土が軟らかい製作中に刻まれた文字は、宮城郡からの“特注品”の証しとみられ、日常的な交流がうかがえる。
さらに、今回調査では奈良・平安時代の炭窯跡が新たに6基見つかった。うち2基は、焼成部の側面に複数の掻(か)き出し口がある珍しい「横口式木炭窯」で、高橋さんらの要望を受け保存措置も決まった。「木炭は製鉄炉に不可欠。きっと周辺に製鉄関連の遺構があるはず」と高橋さんは次のターゲットを見据え、「生活用品から武器を作る鉄に至るまで、利府は多賀城を支えた一大生産拠点だったのではないか」と熱く語る。
◇ ◇
史跡調査の取材をしながら、いつも気になるのは「携わる人たちの情熱はどこからくるのか」という疑問だ。誰もが猛暑の中も黙々と土を削り、遺物を探し、集め、調べ、推定する。気の遠くなるようなその地道な作業の意味を、多賀城跡の県研究所の発掘現場で直接、瓦の破片に触れた時、ちょっぴり理解したような気がする。1300年前の人間が作り、使った全く同じ物に接する不思議な感慨。歴史の重さ、面白さの一端を感じた。彼らの情熱を少しでも共有し、多賀城ワールドを追いかけてみたい。【渡辺豊】=つづく
12月21日朝刊
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